「君の名は。」考察 ~瀧と三葉はセミの擬人化であることを中心に~

1、はじめに

言いたいことはよく分かります。でもちょっと待ってほしい。全部私の話を聞いてから、ボロクソに叩いてほしいんです。「そんなわけない」ってそりゃ私だって思いますよ。でも、「君の名はと前世」というテーマでこの作品を見た時これが1番ピッタリきたんです。理にかなっていると思うんです。

そういうことだけ、覚えておいて下さい。私はいたって本気です。

2、三葉と瀧は同一人物

「前世」とは生まれ変わった同一人物です。この作品が「前前前世」という楽曲と一緒にヒットした以上、作品と何かしらの関係性を持っていてもおかしくありません。それでは「前世」となる関係はどこに出てくるのでしょうか。作品では直接語られないんです。ということは隠れたテーマが潜んでいるはずですね。そこで、私は1つの仮説を立てました。

「三葉の生まれ変わりが瀧」

です。なぜこんな突飛な仮説が生まれたのか。

作品の冒頭、三葉が生まれ変わったら東京のかっこいい男の子になりたい旨を空に叫びます。印象的なシーンで覚えている方も多いのではないでしょうか。その直後に瀧の場面が始まります。これでは本当に「三葉が生まれ変わって瀧になった」というミスリードが生まれてしまいます。作者の狙いでしょう。

しかし、私はそこを逆手に取ります。じゃあ本当に生まれ変わっていてもいいわけでしょ?ということです。そもそも、そうしないと「前前前世」って何?となるわけです。

3、「君の名は。」の問題

しかし、この意見には問題を含みます。三葉が死んでから三年しか経っていないのです。これでは前世とは言えません。これを単純に可能にするのが「瀧くん3歳児説」ですが、説得力に欠けます。

また先ほど述べた「前世」以外にも問題があります。隕石です。隕石は実は相当なエネルギーを持っています。半径約10キロメートルの隕石が地面にぶつかると、飛び散った欠片は世界中に届くと言われています。日光を遮って地球を氷河期に変えてしまうことが起こるかもしれないということです。

4、解決するキーワード「1年しか生きられない動物」

さて、この問題をどう解決するかです。私は「人間社会では不可能」だと思います。人間以外を考えざるを得ません。そこで「前前前世」という言葉に注目して下さい。前が三つついています。ということは三代前です。三葉の代から瀧の代まで、1年に1回死ぬペースになります。すると、可能性が高いのは「冬を越せない動物」です。特に昆虫は人間に比べて体が小さく、隕石は本当は岩ほどの大きさと捉えることができます。

つまり「昆虫」の擬人化によって作られた文明社会だからこその物語ではないかと考察できるのです。

5、選ばれたセミ

ここで、当然ながらこんな質問が出るでしょう。

「なぜセミ?」

その答えはラストシーンにあります。二人が名前を尋ねあったところですね。

さて「名前を尋ねる」とはどのような行為でしょうか。初めてあった人となら必ず行う行為ですね。しかし、万葉集では違った意味も持ちます。それは「求婚」です。名前を尋ねることはプロポーズと同じ意味なんですね。万葉集第一番歌で雄略天皇が女子に名前を尋ねます。雄略天皇が女子にプロポーズしている歌なのです。

授業のシーンで万葉集の歌が黒板にありました。ラストシーンへの伏線と考えられますね。「求婚」とは行かないまでも「告白」で恋愛感情を伝えたことは間違いなさそうです。

さて、話が少し逸れました。このシーン、二人は涙を流していました。泣いていたのです。泣いて求婚する昆虫を私は知りません。しかし、同音異義語の「鳴く」なら有名ですね。そう「セミ」です。

同音異義語だから」は飛躍しすぎたかもしれません。しかしながら、皆さんは「掛詞」という和歌の技法をご存知でしょうか。同音異義語を使って二つ以上の意味を作り出すことです。

それとは時代が若干異なりますが、古くから日本では「同音異義語」を大切にしてきました。ですからあのラストシーンを万葉集的な観点で見た時、「泣く」は「鳴く」に関連していても良いと考えます。

それではなぜラストシーンで同一人物が出会えたのでしょう?それはパラドックスでも何でもなく作品から私たちに伝わるメッセージなのです。

私たちは同じ人物でありながら日々少しずつ変わっていきます。外側だけでなく考え方のような内側の世界はどのように変化していくのか直接目で見ることはできません。まるで過去の自分が別人のように見えることもあるでしょう。

そこが作品のメッセージなのです。過去の自分を省みることで、新しい自分が見えてきます。過去の自分と上手に付き合っていくことで、トラウマを乗り越えて前に進むことができるのです。

6、まとめ

私は「君の名は。」の問題を探し出し、

「三葉は1年に1回死ぬことで瀧に生まれ変わった」という過程から「二人はセミ説」を考えました。二人だけでなく、この世界は全てセミによってできていると考えることができます。

さて、ここまで考えて私は自分の意見をどう否定していいか分からなくなりました。そこで、皆さんのお力をお借りしたいです。

この考察に明確な反論を示してください。よろしくお願いします。